式内 多久神社(島根県出雲市)
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概 要
社 号 式内 多久神社
式内社 出雲国楯縫郡 多久神社
読み:古 タク、現在 たく
江戸時代は「大船大明神」と称していた
所在地 島根県出雲市多久町274
旧地名 出雲国楯縫郡(タテヌヒ):9座(並小)
御祭神 10月15日
多伎都彦命(たきつひこ のみこと) 天御梶姫命(あめのみかつひめのみこと)
合祀 猿田彦命 鈿女命(拝田神社)
例祭日 多久神社のささら舞 11月3日
社格等
『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
出雲国 187座(大2座・小185座)
出雲郡[イツモ]:58座大1・小57
『出雲国風土記』「多久社」
近代社格制度 旧郷社
創建 年代不詳
本殿様式 大社造 檜皮葺
境内摂末社(祭神)
文化財
多久神社のささら舞 県無形民俗文化財指定 多久神社の奉納舞で荘重で風格のある田楽舞
一口メモ
島根半島のやや山あいを東西に抜ける広域農道に式内社が均等に並ぶ。佐香神社からその道を西へ進むと多久神社。
歴史・由緒等
猿田彦命、鈿女命は拝田神社(字持田)の祭神であったが、明治39年12月30日本殿に合祀された。
延喜式神名帳並びに出雲風土記に多久ノ社、楯縫郡(タテヌヒ):9座(並小)多久村大布彌大明神と記され、今で云う大船山の嶺の西に「石神あり、高さ一丈、周り一丈ばかり、側に小石神百余ばかり」古老の伝え云うには「阿遅須択高日子ノ命の后、天御梶日女命が多久村においでになり、多伎都彦命を産み給うた聖地である。即ち、所謂石神(烏帽子岩)は多伎都彦之命の御魂であり、旱にあいて雨を乞う時は必らず零らせたまえり」と記されている。
神名樋山と簓神事
出雲風土記にある四つの神名樋山の一つである。大古神様をお迎いし、斎場としてふさわしい清浄で最適の勝地で、秀麗な山であり海が見えることが条件であった。この神名樋山が大船山であり、多伎都彦命を祀る御社はこの麓にある多久神社である。
その昔、大船山麓まで海であった。遥か彼方近江国より、松本一族を始め大衆が大船大明神を供奉して、多久の郷へ大波小波を乗り超えやっとの想いで辿り着いた。その昔を偲ぶため鼓と簓などを用いて音を擬し、簓舞神事(昭和49年県無形文化財指定)として今日に至っている。この神事は、毎年例祭前夜と当日の二回行なわれ、石広、小北、湯屋谷尻、宮脇、新屋敷、大西、羽根屋、廻ノ奥の八軒の家で奉仕されている。
平成13年10月
多久神社由緒概要記より「社頭掲示板」
出雲の神奈備山のひとつである大船山の麓。出雲国風土記には「神名火山」、「神名備野」、「神名樋」と書かれており、意宇郡の神名樋野(茶臼山)、秋鹿郡の神名火山(朝日山)、楯縫郡(タテヌヒ):9座(並小)の神名樋山(大船山)、出雲郡の神名火山(仏経山)にそれぞれ比定されている。
境内・社叢
社叢 長い石段だが一段が低いのでそんなに辛くない
二の鳥居 社殿・狛犬(猫が威嚇している時のような変わったスタイル)
手水鉢 本殿
社頭掲示板
境内社
地名・地誌
地 図
交通アクセス・周辺情報
参 考
「延喜式神社の調査」さん、他
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